もう1人の私─創作小説始めました。


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約束の箱と銀の鍵  ①

今日こそは、今日こそは。
賢一は、まるで魔法の呪文のように心の中で何度も呟いた。
身長176センチ、少しウェーブがかかった髪で、長めの前髪が右目を半分隠している。冷めた目付きが、17歳という実際の年齢より大人びて見え20歳以上に間違えられる事が多かった。
野外ステージのある大きな公園などそんなに多くはないはずだから、彼女を見付けるのは容易い事だと考えていだ。                        ──甘かった……
目の前のガランとした野外ステージを、賢一はガッカリしながら見つめた。

彼女を捜し始めてもうどれくらいになる?
あれは1ヶ月ほど前のことだった。                           長かった夏が過ぎ、やっと木々が色ずき初め秋らしくなってきたあの日のことを、賢一は思い出した。

鬱陶しい曇の日が何日も続き、家の中にいるのがいい加減嫌になっていたので、久しぶりに外出した。
たまたま立ち寄った公園で、彼女のマジックショーを見たのだ。
ありきたりのカードマジックからスタートしたのだが、雪のように真っ白な髪のお婆さんがマジシャンだというところが珍しかった。 日本人ではないらしく、鼻が高く目が青い。
はじめは、老人会か何かの集まりで、ちょっとした特技の披露会かと思っていた。─なんだ、おじいちゃん、おばあちゃんのマジックショーか……
ヒマだったのと、年寄りがいったいどんなマジックを披露するのかと、少しばかりイジワルな気持ちもあって、ステージの一番前まで歩いて行き、冷たいコンクリートのベンチに、腰を下ろした。
始まって5分も経ってないだろう、賢一はショーに釘付けになった。
彼女は、風貌にそぐわず素早い動きでマジックを披露した。
古ぼけた黒いカバンからは、ありとあらゆる物が出現し、また消失していった。極め付きは、空飛ぶ箒だ。

箒に跨り空中をフワフワ移動する様子は、彼女の衣装とおり、おとぎ話に登場する魔法使いそのものだった。
ふと見ると、囲碁を指していた老人グループ(彼女の仲間かと思い込んでいた)や、遊んでいた小さな子供達、子供そっちのけで携帯ばかりいじっていた女性達もステージに見入っている。
これは、なんちゃら会などではなく、立派なマジックショーだ。
大きなフランス人形が登場した。
どうやらゼンマイ仕掛けで動いているらしく
背中に大きな鍵のような物がある。
瞬きのない大きな目、陶器で出来ている白い顔は煤で汚れ、ボロのドレスを着せられている。
人形といっても、大きさが7歳くらいの女の子ほどあるので、勝手に動き回る姿は、見掛けがはっきり人形と分かるぶん不気味だった。
人形は、ステージの中央に置かれた椅子の所まで歩いていくと、膝を付いてお祈りのポーズをとった。突然、マジシャンのおばあさんがポンッとビンの蓋を開けたような音と共に人形の側に現れる。

ディズニーの曲が流れだした。
どうやらシンデレラの一場面らしい。彼女は黒いカバンからカボチャやネズミ、トカゲを順に取り出した。
そして、観客のほうへニッコリ微笑んで頷き、マントの中から魔法の杖を取り出した。観客席の子供達がわっと声を上げる。
彼女はカバンから出して床に並べておいたアイテムに、呪文のようなものを唱えた。
お約束どうり!カボチャは馬車に、ネズミとトカゲはそれぞれ、従者と馬に変身した。続けて杖をもうひと振り、すると今度はみすぼらしい人形が美しいお姫様に変わった。
マジシャンが黒いカバンに杖を向けて、8の字を描き空の方に杖を引き上げると、カバンの中から1メートル四方位の大きな絵本が、ゆっくりと浮かび上がった。あんな、小さなカバンにどうやって!
絵本は地上2メートル位のところで止まり、銀色に輝きながら、勝手にページをめくっていく。
観客達からワ─ッと声があがった。
よく見ようと、立ち上がって前のほうにやって来る子供達もいる。
魔法使いのお婆さんが子供達にニッコリ笑いかけ、シンデレラの登場人物達を囲むように杖で円を描くと、杖先から銀色のテープが飛び出し、彼らの周りを回り出した。まるで巨大なフラフープだ。
一体どんな仕掛けなのか。
再び杖を振ると、シンデレラ達はみるみる小さくなりはじめ、とうとう身の丈20センチ程になった。
しなやかに杖が振られるたびに、信じられない事が起こった。
今度は、小さくなった彼らをシャボン玉のような透明の球体でくるんだ。
それはそのまま空中をフワフワと飛んで、先ほどの大きな絵本の開かれたページに吸い込まれて行った。
空中に浮かんだ絵本が、杖に操られ客席に良く見えるように向きを返ると、馬車の中から手を振るシンデレラと従者がはっきりと見えた。
大きな拍手が沸き起こった。
賢一も、思わず力いっぱい手を叩いていた。
マジシャンが絵本に杖を向けると、絵本は勝手に閉じられ、スーッと床に降りてきた。
彼女がそれを美しいコバルトブルーの布で覆った時、中に生き物がいるみたいに一瞬だけゴソッと布が動いたように思ったが。そう思った瞬間、マジシャンが布を剥ぎ取った。
そこには、山ずみにされた普通サイズの絵本があった。
さっきの巨大な絵本は、影も形も無い。
お婆さんはニッコリ微笑むと、ステージの側までやって来ていた子供達に、絵本を配り始める。
どういう訳か、絵本は過不足なくピッタリ子供の頭数でなくなった。
ショーが始まった時には、まだゲーム機をいじっていた子供達も興奮して、魔法使いだと口々に叫び喜んで絵本を受け取っていた。
まるで夢を見ていたかのようだった。もちろんマジックなので種も仕掛けもあるのだろうが、全く分からない。
世の中には、魔法みたいなマジックショーがたくさんある。テレビでも、S氏やM氏のような超有名マジシャンがゴールデンタイムにショーを見せているが、あれだって全く種が分からない。
賢一は時々、彼らはマジックなんかではなく、本当は超能力とか魔法を使っているのではないかと思う事がある。そうでないと納得出来ないようなマジックショーを、実際に何度か見た。
母親がマジックショー好きなので、テレビで放映があると必ず見ていた。そのせいか、賢一も小さな頃からマジックをよく見た。

宴会などで見る素人から、超有名マジシャンまで、この世の中に、マジシャンと呼ばれる人間が一体どのくらい存在するのだろう。
今日のマジックショーは、今まで見たショーの中で一番感動した。
マジックを見ると、その驚きのテクニックに感動し興奮して楽しくなる、でも今日のはそれだけでなく、進行するたびに心がドンドン温められて、幸せな気分になった。
彼女のテクニックも相当なものだったが、それよりも、幸せで何か懐かしい思い出に包まれいるような、まるで「春の日だまり」に浸っているみたいな温かさを、ステージから感じた。
ステージが終わっても、賢一はしばらくの間ボーッとしていた。
外灯が一斉に灯ると、夢から覚めたように我に返った。
──そうか、ここ公園の野外ステージ。 何時だ今……
賢一と同じく興奮冷めやらぬ観客達のざわめきが急に耳に入ってきた。
賢一は、帰ろうとしていた隣の老夫婦に尋ねた。
「このマジックショー、いつもこの時間にあるんですか?」
「たぶんね。一昨日もここで同じ時間にあったよ。わしらはもう一度見たくて、今日も来たんだ」
人の良さそうなお爺さんが、微笑みながら言った。すると、隣のお婆さんも首を伸ばして賢一の方を見た。
「あの方、私と同じ年くらいに見えるでしょう?すごいわよねェ。この方のショーを見てから何だか元気が出て来てね。私達もマジック教室に通おうかと、二人で今話しているところなの。まぁ、今からじゃあ大して上手くはならないでしょうけど。あの方なんて、きっとお若い頃からずい分練習なさったのでしょうねぇ。
でも、まぁ私達は二人で楽しむ程度でいいからねぇ。だって……」
長くなりそうな話に困っていると、椅子を抱えて運ぶ男の人が目の端に入った。──マジックで使ってた椅子!あの人、関係者だ。
賢一は、急いで老夫婦との会話を終わらせ、台車に椅子を運ぶ男を追いかけた。
「すみません!」賢一は、その男を大きな声で呼び止めた。
「その椅子、さっきショーで使ったヤツですよね!」
「あぁ、そうだよ」
「スタッフの人ですよね。その…明日もショーありますか?1日1回の公演しかないんですか?」
「悪い、オレはスタッフじゃなくてな、ここの管理事務所のもんだ。それにここでの公演は終わりだよ」
「えっ!」
「あ、あの、次はどこであるんですか?」すぐに行ってしまいそうな男に、慌てて尋ねる。
「さぁなぁ、俺は知らねぇなぁ。言われた時間にこの椅子とりに来ただけだし。1ヶ月前には、別の公園でやってたらしい。あんな年寄りのマジシャンがいるなんて、俺は初めて知ったよ」
そう言うと男は、サッサと行ってしまった。
ショーの余韻をまだ楽しんでいる何人かに、同じことを尋ねてみたが、ここでの公演しか知らないみたいだった。
分かったのは、彼女の名前がメリッサだという事だけだった。

家に着くと賢一は自分の部屋へと直行し、着ていたジャケットをベッドの上に放り投げた。                                         勉強机にはラップをかけた皿が二枚あった。小さい方の皿にはおにぎりが3つ、大きい皿には山盛りのキャベツの上にハンバーグが乗っかっていてラップを外すとまだ湯気を立てていた。魔法瓶に入った温かいお茶もあって、ハンバーグ用のソースもちゃんと添えられている。                   多分ガレージからする物音で賢一の帰宅を知った母親が温めなおし、素早く部屋へと運んだのだろう。
母親の優しさ、気遣いなのだろうが、かえって賢一の心を憂鬱にさせる。

ベットにもたれて携帯を開く、メールが1件入っている。
賢一は溜め息を付いて携帯を閉じると、母親が握ってくれたおにぎりに手を伸ばした。おにぎりを頬張りながら、どこを見るでもなくぼんやり目を開けて、好きな音楽を聞く。
ここ2週間くらいの賢一の部屋の様子は、いつもおんなじだ。
ただひたすら音楽を聞いていると、モヤモヤした思いがメロディーのオブラートで包まれてゆく。
いつからだろう、何もかも無意味に思えて何をするのも億劫に感じるようになったのは…
学校でも授業に集中出来ず、ボンヤリすることが多くなった。だから進学校で有名な高校中で、だんだん賢一が厄介者になっていくのは当然だった。
先生が諦めムードになってくると、ますます学校に行きたくなくなる。
それでも行けたのは親友がいたからで、その親友が自分の味方でなくなったのなら、学校に自分の居場所は無い。
いつもなら、宇宙に浮かんだ巨大な迷路にたった一人で迷い込んだみたいな感じで、孤独感と、しっかり立てない不安感、出口の見えない恐怖で押しつぶされそうになって、CDのボリュームをもっと上げることになる。
今日は、ハンバーグに特製ソースをぶっかけながらマジックショーを思い出していた。
素晴らしいショーだったが、特にあのマジシャン、彼女がすてきだった。
何故、あの魔法使いみたいなマジシャンのことが頭から離れないのか、家に着いてからその理由が分かった。
似ているのだ、亡くなった賢一のお祖母さんに。
賢一はお祖母さんん子だった。
もちろん、生粋の日本人なのでそっくりという訳ではないのだが、昔の人にしては背が高く、美しい白髪で上品なのに、子供のように可愛らしい感じが似てる。優しい笑顔で、世界中の童話をよく話してくれた。
幼少の頃は、お祖母さんの膝に座ってはお話をせがんだのを覚えている。父親には、男の子なのにとよく嗜められたのだが。
──そっか。おばあちゃんに似てるんだ。雰囲気かな?それでかな、ショーの間中懐かしいような、何かあったかい気分がずっとしてた。
久しぶりに、モヤモヤした思いから開放され、ベットでゴロリとなりながらお祖母さんの思い出に耽っていると、お祖母さんの顔がいつの間にかマジシャン、メリッサの顔と重なり、絵本をプレゼントされていた女の子が現れた。
喜ぶ女の子が振り向くと、水に写った顔のように一瞬ゆらりと揺れ自分の顔になった。
絵本を手に、小学生の賢一が喜んでいる。
顔を上げると、目の前にいるのはメリッサではなく母親だった。
突然、トントンというノックの音がして、賢一はぱっと目を開けた。どうやら、ウトウトして夢を見ていたらしい。
ベットから降りると思いっきり大きな伸びをして、賢一は無言で扉へ向かった。いつもなら、ドアの下部にある猫用の小さな扉から、食べ終わった皿を盆ごと外に押しだ出している。
扉を開けると、母親がビックリした顔で立っていた。
大きな目を更に大きく見開き、半開きの口を閉じもしないでつっ立っている。  母親に、黙って盆を押し付ける。
一瞬、賢一は何か言おうと思ったが、結局何も言わずに扉を閉めた。
母親が黙ったまま扉の向こうに立っているのを、賢一はしばらくの間、気配で感じていた。
どうすればいいのか分からず、彼女が悲しんでいるのは十分承知していた。自分がその原因を与えているのだ。
──口を効かなくなって、どの位だろう。
口を開くと、また自分のイライラをぶつけてしまいそうでコワイ。
息子を怖がっているのか、母親は何も言わない。いっそ、怒鳴り付けてくれた方が楽だ。
オロオロする母親と、賢一にではなく母に不満をぶつける父の姿は、賢一の心をますます重くした。
賢一は、再びベットに転がるとヘッドホンに手を伸ばした。

翌朝9時に目を覚ました賢一は、昨日の公園にもう一度行ってみようと、寝不足の目を擦り(あれから結局寝付けたのは早朝5時頃だった)ジーンズとTシャツを着てネルのシャツを羽織った。
あのショーをもう一度観てみたい。どうしてもあのマジシャン、メリッサに会いたかった。
スニーカーを履いて、玄関口の脇にある大きな姿見を覗いていると、台所から出て来たビックリした顔で立ち止まる母親の姿が、チラリと鏡に映った。
慌てて玄関を出たが、扉が閉まってしまうまで、母親の顔がビックリしたままなのを鏡の端で確認出来た。ここ2週間家を一歩も出ていなかったのに、2日も続けて朝っぱらから出かけるからかもしれない。
自転車を飛ばして公園の野外ステージに着くと、昨日いた女の子が母親らしい女性と一緒にベンチで絵本を見ていた。  ショーで貰ったあの絵本だ。
女の子は目をキラキラさせて、読んでくれる絵本に見入っている。 ショーが今日もあるかと、他にも見覚えのある顔が何人かいた。
でも男が言っていたように、ここでの公演は終わったらしい。
それでも一時間位待ってから、隣の町にある公園に行ってみた。野外ステージのある公園はそんなに多くないはずだから。
マジックショーは、行なわれていなかったが、そんなにガッカリはしなかった。
隣の町で公演があったのなら、野外ステージのある公園を順に興業しているのかもしれない。
かなりレベルの高いマジックショーだったし、素人ではない、上品な老婦人のマジシャンともなれば、話題性もある。知っている人が必ずいる。

──すぐに見付けられるさ。
近くのインターネットカフェで検索してみたが、名前からも、マジックからも何も分らなかった。 こうなったら1つずつ当たってみるかと賢一は思った。

時間はある。
その後あちこちの公園に行って、夕方まで捜し回ったが、その日は、結局ショーを発見することが出来なかった。
もっと遠くで公演しているのだろうか。
次の日、賢一は清々しい朝を迎えた。自転車で動き回ったおかげか、久しぶりに夢も見ずぐっすりと眠ることが出来たのだ。
手早く着替え、15歳から何故か伸びなくなった少しクセのある髪を手で整えた。
机の上の携帯に手を伸ばした時、昨晩メールをチェックしなかった事を思い出したが、口の端を片方だけ持ち上げ「フン」と息を小さく吐き、そのままポケットに突っ込んだ。
──どうせ…
ダイニングルームに入ると、母親が対面式キッチンで食器を洗っていた。
当然、父親は出勤した後だ。
「母さん」
突然話し掛けられて、母親はお皿を危うく落としそうになった。
「母さん、腹減った」
話し掛けられたのは確かに自分なのかどうか、母親は戸惑うような表情できキョロキョロ辺りに目を走らせてから、賢一を見つめお皿を握り締めた。
「母さん、水、水止めたほうがいいんじゃない?」
母親はハッとしとして、慌てて水道の蛇口を捻った。
「あ、あぁ、朝ごはんね。ちょっ、ちょっと待ってね、今温めるから」
徐々に泣き笑いのような顔になって、母親は味噌汁を温めなおし、涙を拭きつつ卵を五つも使って大きな卵焼きを作った。そして、山のように積いだごはんを、まるで宝物を運ぶようにいそいそと賢一の前に置いた。
母、美和は万事控えめで、夫の後を本当に一歩下がって歩く人で、日本女性を絵に描いたような人だ。賢一は母親が怒ったり、父親に自分の意見を言ったりする姿を見たことがない。
子供のような人で、嫁いだ姉が母のことを「美和ちゃん」と呼んでいたくらいだ。父親は逆に、自分は他の人よりも知恵があり深い考えを持っていると思っているような、自己中心的な男だった。
謙虚そうに話を聞くふりをして、結局は自分の価値観を人に押し付けてくる。
二人が留学先のイギリスで出会った恋愛結婚だという事が、賢一には未だに信じられなかった。
最近、母親を見るだけで胸が苦しくなる。
怒ればいいのに、ボクのことでオヤジに怒鳴られるって。
ダイニングルームで朝食をとる事にしたのを後悔しながら、賢一はつまりそうになるご飯を味噌汁で流し込んだ。サラダのように盛られた漬物は半分以上残す事にする。                                       賢一はキッチンから心配そうに見つめる母の視線を無理やり遮断するように勢い良く立ち、無言でダイニングを出る。
母との気まずい時間を洗い流すように熱いシャワーを浴びて、賢一はその日もメリッサ捜しに出掛けた。
今度は、もう少し遠くまで行けるように自転車ではなくバイクで行くことにした。
どのくらい走ったのか、昨日よりあちこちずい分足を伸ばしてみたのに、結果は同じだった。気合をいれた分、ダメージは大きい。
何度も気持ちを入れ替えトライしたが、同じような日々が一週間も続いた。
まるで仕事のように、朝出掛けて夕方遅く帰って来る。捜すことに興奮しているのか、日に日にこの次はという思いが強くなる気がする。意地なのか、なんなのか分からないが使命感みたいなものがあった。

何日も搜索の結果は変わっていなかったが、不思議なことに日常に変化が訪れていた。夜はまだ無理だったが、父親の出勤後なら朝食を母親と一緒にとれるようになってきたのだ。
会話の方はまだほとんど出来ないが、聞かれたことに短く返事をする程度に成長した。母のぎごちなさはだんだん取れていき、嬉しそうだった。
一緒に朝食をとるようになったある朝のことだった。
「シンデレラの本」
唐突に出た言葉だった。
言ってしまってから心の中でチッと舌打ちした。自分の顔は今赤くなっているに違いない。
「シンデレラ?」
母親は思いがけない息子の言葉にビックリして聞き返した。
賢一はそれ以上何も言わず、黙々と食パンをかじり続けていたが、やっと出来た会話の糸口に美和は嬉しそうに飛びついた。
「そう言えば、小さな頃よく読んであげたわねぇ。男の子なのに絵本が好きで。それがどうかしたの?」
「……別に……」
メリッサのショーを思い出しながら朝食をとっていた事を恨みながら、賢一はボソボソ言った。
「まだ大切にしまってあるわよ、探してみようか?」

「いいよ!」
「絶対あるわよ。ママあなたの思い出のものは全部大事に……」
「イイってば!読みたいワケないだろう!ガキじゃあるまいし!」
賢一が怒鳴ると、母親は俯いてしまった。
──あぁもう、なにも怒鳴ることないじゃないか!

自分に腹が立ち、勢いよく立ち上がるとドアを乱暴に閉め玄関へと急いだ。

②につづく─




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